二階堂高嗣くんお誕生日おめでとう2021
「推し」という言葉が一般的なものになって、もうずいぶん経つ。
ありとあらゆる事物に使われるこの2文字の言葉は、「私はこれが好き」と主張するにはあまりにも便利な単語である。そして時に、ある種の熱狂や信仰を伴う。
では「推す」とは何なのか、何を以てして「推し」と呼ぶのか、「推し」とそれ以外にはどのような違いがあるのか。
100人いたら100通りの答えが返ってくるだろうこの問いに、私はこのような答えを出した。
もしかしたら私の見ているその人は虚像に過ぎないかもしれないけれど、でもその人のことを信じたい、そう思える相手が「推し」なのだ。
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いきなりクソダルい語りから始まってすみません。そんなことより。
二階堂高嗣くん、31歳のお誕生日おめでとうございます!!!
二階堂くんのお誕生日を祝うのは今年で2回目、そんな新参者もいいところなのですが、今年もこうして祝うことができることに、感謝の念が尽きません。
キスマイにハマってから、そして二階堂担になってからのこの1年、とにかく濃かった。もうドロッドロに濃かった。ムカつくことも悲しいこともあったけど、それ以上に楽しくてうれしくてハッピーで最幸なこともたくさんあった。オタクとして生きる中で、今までにないくらいいろんな感情を経験して、生きていることを実感する1年でもあった。
そして二階堂くんのここが好きだ!という気持ちが積もりに積もった1年でもあった。
今回は誕生日というまたとない機会を借りて、二階堂くんの好きなところをつらつら書き連ねていくことにする。要するにダルい語りである。
後々読み返して死にたくなるほど恥ずかしくなるのかもしれないけど、2021/8/6現在の自分の感情の記録になると良いと思う。
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二階堂くんの好きなところ①:顔
1発目から身も蓋もないですね。はい。顔が好きです。二階堂高嗣顔が良い。
顔のどこが良いって、まず目が良い。二階堂くんの意志が強くて涼やかなおめめ。突然小動物のようにまんまるきゅるきゅるになったかと思うと、ヤンキーっぽさが抜けきってないキツく鋭い目つきに変わる、表情豊かなそんな目がとても好きだ。
そしてその目を強調するかのような豊かな涙袋、びっくりするほど色気のある右目下のほくろ、きりっとした眉毛。何もかもが完璧に配置されていて、見るたび嘆息する。本当に美しい造形をしている。
顔の上半分だけでタラタラ語ってしまったが、二階堂くんの顔の下半分ももちろんかわいい。少し低めのお鼻を本人は「ちょっとだけつぶれた鼻」「ブサカワ」*1と言った。でも潰れている割には鼻筋がスッと通っていて横を向いたときにとてもきれいに映る。正面を向いた時には小動物的なかわいらしさを演出してくれる。なんと万能なパーツ。
への字のようで両端が上向いてる、緩やかなωみたいな形のお口もかわいらしい。よくカワウソに似てると言われるのは、このお口の形があってゆえのことだろう。やや丸めの輪郭も相まって、カワウソと並べても遜色のない小動物フェイスなのが一層愛らしさを強調している。
でも斜めから見る顔はシャープで洗練された印象になるから不思議だ。見る場所見る角度によってこんなにも印象の変わる、そして表情もコロコロ変わる、本当に見ていて飽きない良い顔だ。
いつも顔が良いという便利なスラングに頼ってしまっているが、これからも頼ることになるのだろう。だって顔だけ語るのに多分5ツイートくらい使ってしまうからだ*2
二階堂くんの好きなところ②:身体
身も蓋もないシリーズその2。そもそも骨格が好きすぎる。
フレームのしっかりした肩幅に、ほっそりとした腕、その先にくっついてるバカでかくて綺麗な手、手入れを欠かさないピカピカの爪。
上半身だけでなく下半身の造形も美しく、位置が高くてキュッとくびれた腰は、スタイルを良く見せるのに恐ろしいほど効果を発揮している。背中~腰~尻~脚のラインはの美しさは言葉にできないくらい好きだ。脚の長さを表現するのに、股下5メートルの膝下3メートルはオタクがやりがちな手垢のついた誇張表現ではあるのだが、実際少し低めの椅子に座った時、余る脚の長さにそう口走るしかないのも事実なのである。
彫刻にして残したいと何度思ったかわからないくらいに、全身のスタイルが”良い”。
そんな恵まれた身体でしなやかに踊るのだからオタクは堪ったもんじゃない。バラードなんかで特に顕著だが、「舞う」という表現がしっくりくるほどしなやかで、爪の先まで丁寧にさばく所作の繊細さ、そこに宿る美。動きの緩急の加減がまた絶妙で、全身の筋肉を意のままに制御しているのかとすら思う。無駄のないやや神経質気味で繊細な動きは、本人がバラエティで見せる印象を簡単に裏切ってしまうのだからずるい。
顔の作画はどちらかというと少年ジャンプなのに、身体の作画は往年の少女漫画のようで、一見事故りそうな2つが不思議なバランスで成立しているのだから二階堂高嗣はすごい。そしてしゃべるとコロコロコミックみてえになるからほんとおもしれー男。
二階堂くんの好きなところ③:声
二階堂くんの声は特徴的なハスキーボイスで、ラップをさせるとやや無機質めな響きと刻むビートの独特さがめちゃくちゃかっこいい、でも歌うとちょっぴり切なげに上擦るので、一人称「私」の歌詞がやけに色っぽく聞こえるから不思議だ。というのは個人的に散々語ってきた。
二階堂くんは普通に喋ってても声が良い。
例えばラジオのトークのとき。あまり張り上げずに低い声で話すときの柔らかさ。ちょっぴりもぞもぞした響きが、蓄音機でレコードを再生しているときのノイズのようで心地よい。メンバーとのトークだと喋り方も幼く甘えた感じになるから一層かわいらしい。
かと思うと突然アニメ声みたいなのを出す瞬間があって、それがとてもかわいい。一番わかりやすいのはキスどき47話カレンダー撮影回でワンちゃんを追っかけまわしながら発せられた「キミに決めた!キミに決めた!」という声なのでdtv入っている人はぜひ聞いてみてほしい。アニメの少年主人公みたいなトーンでしゃべるのに声カッスカスなのが余計にかわいい。最高。
そしておそらく耳がいいんだろう、時々ふざけてナレーションやカウントダウン音声の声真似をするとき、謎にクオリティが高くて感動する。口や声帯の使い方が器用すぎて末恐ろしくなる。
鍛えたらめちゃくちゃ化けそうなので、いつか声のお仕事やってください。最高の原石を見つけた気分なんだこっちは。吹替とかやってほしい。絶対ぜっったいぜっっったい1回はやって!!!!!!
二階堂くんの好きなところ④:演技
『舞台版 ○○な人の末路』を見るとき、毎度のように「アカデミー助演男優賞~~~~!!!!!」と叫んでしまう。実際自分にそれだけの権威があったら与えているかもしれない。何が言いたいかってそれだけ演技が好きということなんですけど。
そもそも声がいいのは前項で語りつくしたところだが、持ち前の声の器用さを生かして自然にセリフを発するところがとても好きだ。一見派手さはないものの、演技していることを忘れるような自然さは、二階堂くんの持ち味だ。
また、これは憶測にすぎないのだが、演技プランを緻密に練って役に徹しているところもとても良い。<舞台○末ネタバレ注意>『舞台版 ○○な人の末路』の笑原陽左志を演じるとき、二階堂くんは呼吸を荒げる演技をする。陽左志が呼吸を荒げるのは、過去のある事件に起因しているが、それをセリフじゃなくて演技でわからせることができるからすごい。<ネタバレおわり>
そして、自然とそのシーンに馴染む演技ができるのが二階堂高嗣の演技の1番の強みではないかと思う。 バラエティの出演で培ったスキルなのか、もともと状況を読むことに長けているからなのか、そのどちらもあるのかもしれないが、他のキャストを喰ってしまうほどの存在感を発さず、かといって埋もれてしまうこともない、絶妙な塩梅でそのシーンに参加しているのが素晴らしい。
中高演劇部だったレベルの人間が分かったような口利いて申し訳ないのだが、他人同士が作られたセリフを発して自然なやり取りのように聞こえる/見えるようにするには、それなりに修練が必要になる。その上、周りと協調しながらお芝居をするのは、自分がしっかりと演技した上で、相手の演技をしっかり見てやる必要があることなので、かなりのスキルを要することだと思う。演技の仕事が少ないことを弄らせたりする割に、二階堂くんはそれを自然とこなしていて、だからすごいと思っている。
二階堂高嗣の顔だけど二階堂高嗣ではない別の人物として呼吸している姿がとても好きなので、31歳はどんどん演技のお仕事もやってほしいと思う。そして実は脇役で良い味を出す俳優だとも思っているので、ボス恋の中沢みたいな美味しい役をゲットしてほしい。
目指せ、令和の名脇役。
二階堂くんの好きなところ⑤:仕事をする姿勢
突然ガチな感じになってしまって恥ずかしいな。
そもそも仕事をする姿勢というのは、特にファンの立場からアイドルを見てるだけの場合、当たり前だが全部を知ることは不可能である。だから、これは私の主観が多分に入っていることをあらかじめ断っておく。まあそれ言ったらこの記事すべて私の主観で構成されているんですけど!!!!今更だよ!!!!!!!!!
二階堂くんはアイドルなのにアピールがへたくそだと思う。殊に自分の仕事に関して。
自分が中心になって担当しているライブの演出だって、誰がやったか聞かれたときに真っ先に「みんな!」と答えるくらいだ。でも二階堂くんが担当したライブの演出が、私はどれも好きだ。WEB FES出なので初めてフルで見たライブ映像は2019年のFREE HUGS!だが、レーザー照明の動きがシンクロするところや、THIS CRAZY LOVEのプロジェクションマッピングに衝撃を受けた。そしてダレることのないセトリ。そんなライブの演出を二階堂くんが、自担がやっていたことを知ったときは、うれしすぎて自分に都合よく事実を捻じ曲げてるのかとすら思ったくらいだ。
でも二階堂くんはあんまりそれを自分から言わない。「みんな!」と言ったりスタッフさんの尽力の話に持っていく。もちろん彼一人の力で全てが成り立ってるとは思わないけど、みんなと一緒にすごいものを作り上げているのだから、そこはもうちょっとアピールしてもよくない?と思う。思うけれどあんまり自分から語ることはない。それをちょっぴりもったいなく感じたりもする。
でもライブの裏話をするときに、他のメンバーが二階堂くんの名前を挙げてくれるから、Kis-My-Ft2は優しいなと思う。そして、本人以外の人が言うのだから、本当なのだろうな、と思うこともできる。
表ではあんまりそんな素振りを見せないが、裏できっといろんなことを考えて、実現に向けて努力してくれているであろう二階堂くんの仕事の姿勢は、もどかしくもありかっこよくもある。不言実行とはきっとこういうことを言うのだろうなとも思う。そして、それを裏話として教えてくれるKis-My-Ft2の皆さんに感謝である。
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冒頭にも書いた通り、私がここまで書き連ねてきた二階堂くんに関することは、世に出た情報を積み重ねて私が作り上げた虚像に過ぎない。
でも、そんな虚像をこの1年追いかけ続けているのは、二階堂くんが「信じたい」と思えるアイドルだからなのかな、と思う。
私は二階堂くんのビジュアルの良さを信じているし、歌やダンスを信じているし、演技のポテンシャルを信じているし、仕事の姿勢を信じている。二階堂くんにムカついたことだって分かり合えなさに腹を立てたことだってあったけど、それでもやっぱり信じたいと思うから自担なのだと思う。
改めて、二階堂高嗣くん、31歳のお誕生日おめでとうございます。
幸多き1年になることを心の底から祈っております。
後から読んだときにこのブログが恥ずかしくなったら、全部モデルナの副反応のせいにします。
舞台『○○な人の末路~僕たちの選んだ××な選択~』を見た1オタクの末路
タイトルの通りです。つまりは感想ブログです。
一切の配慮なくネタバレします。あと内容の偏りについてはご容赦ください。
また、書き手はWEBFES出の二階堂担であるため、今回受注生産されたDVDを鑑賞しての感想となります。
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月side→海sideの順番で見ました。
この作品の1番大きな選択は、「未来へ進みかけたコマを一度停止しても《過去》に向き合うか」「過去について蓋をしたまま一旦《未来》へコマを進めてみるか」という2択だったように思う。
そして《過去》を選んだ末路を描くのが海side、《未来》を選んだ末路を描くのが月sideである。
どちらがハッピーエンドだったか(=救いの多い末路を選ぶことができたのか)、というのはそれこそ見た人の判断に委ねられるのだろう。
どちらを選んだとしても、最終的に敏幸は互いに想い合う恋人と結ばれ、陽左志はいずれ訪れるであろう幸福が約束される。
だからこそ、そこに至るプロセスのどちらに納得したかで、ハッピーエンドと見なす末路が決まるのではないだろうか。
私個人としては、「海」にハッピーエンドを見出しました。
「月」は表面上はハッピーエンドだが、どこかわだかまりの残る終わり方と受け止めました。
という書き手の立場表明を踏まえて、以降、各sideの物語についての話や演者の話をしていきたいと思います。まとまりがなく、読みづらい文章であることを、あらかじめお断りしておきます。また、個人の解釈の話となりますので、思ったことを正直に書いておりますが、事実の誤認等ございましたらすみません。
まず物語について。
「月」と「海」の違いについて、以下の観点を踏まえて考察(になってんのかな?)していきたいと思います。
観点①:陽左志の罪の告白を聞いた敏幸の表情
観点②:陽左志の罪の告白が果たす役割
で、考察入ろうと思いましたが、あまりにも長くなったので先に結論言っちゃいます。
■結論
笑原兄弟の選択の末路には、それぞれ以下がありました。
《未来》の場合(月Sideの場合):兄弟の独立、そして別離
《過去》の場合(海Sideの場合):兄弟・家族のつながりの強化
また、陽左志の罪への向き合い方も、こう結論づけられるのではないかな。
月Sideの場合:罪自体からは解放されるが、敏幸から赦されたとは言い切れない
海Sideの場合:罪自体は残り続けるが、敏幸からは赦される
この結論に至る根拠はこの下の矢印で括った部分に書いているので、元気があったら読んでください。
↓ ↓ ↓ はじめ ↓ ↓ ↓
■月side
「月」は、敏幸が(文字通りの)“明るい”未来を掴み取る物語である。
失踪した父との再会ではなく、モデルとの面接を優先したことが、元眼科医と知り合うきっかけとなり、そこから繋がった縁で、視力を回復させる手術を受ける道を選ぶことができた。カメラマンとしてのキャリアも約束されたものとなり、生涯を共にする伴侶を得、手を取り合って歩んでいく。
月sideは、少なくとも敏幸にとってはこの上ないハッピーエンドかと思う。
ただ、一見明るく見えるこのエンドの影には、きっと笑原兄弟が抱え続けることになる禍根が残っているのではないかとも感じた。
彼らは父親が自分たちの元を去ったことの真相を知らないままこの先も生きていくのだろうし、実は敏幸と陽左志の間の確執は、解消されていないのだとも思う。
そう思う理由の最たるものは、観点①にも挙げた、陽左志の罪の告白を聞いた敏幸の表情である。
「月」の敏幸は陽左志が自分が失明するきっかけが弟にあることを知ったとき、怒りや憎しみ、恨みを抑えきれないような表情を浮かべた。しかし、何かを言い聞かせるように目を閉じ、呼吸を二三した後、再び笑って陽左志の罪を許す言葉をかける。
この一連の表情変化に、敏幸は陽左志を感情面では許しきることはできないが、表面上は陽左志を許すことにしたのだ、と感じた。
「月」の笑原兄弟にはどことなく緊張感が終始漂っていたように思う。彼らは随分理性的に話をするが、お互いやや表情が固い。でも嘘をついているからそうなるのではなく、どちらも嘘をつくことが得意ではないからこそ、表情や声を装うことができないのだと思う。
「月」の陽左志は、コントパートでは「海」の陽左志に比べて随分全力で大きくリアクションをするものの*1、普段は持ち前の繊細さが表情に滲み、自分の罪の重さに引きずられているがゆえにややぶっきらぼうな印象も受ける。
「月」の陽左志は、そういった面からも、自分の感情に正直な人間なのだと察することができる。
「月」の敏幸も、表情の雄弁さでは陽左志に引けを取らない。むしろ表情がすべてを物語るかのように、絶えず動き、何かを語りかけている。言葉も裏表を感じさせることがなく、感情の乗せ方もどちらかというとシンプルで複合的ではない(単純明快というわけでもないが)。
だから、「失明する前最後に見た弟の顔が怒った顔だったから、もう一度笑った顔を見たい」という言葉は敏幸の本心なのだろうと思う。おそらく彼の弟を想う気持ちは本物で、だからこそ、失明する直前の陽左志との喧嘩では鬼気迫る表情を浮かべ、声を荒げていたのだと思う。
このように、どちらかというと自分に正直な「月」の笑原兄弟は、嘘が苦手であるためにかえってぎこちなさを抱えている。
また、陽左志の罪の告白が持つ役割についても、「海」とは明確な違いがある。
「月」で陽左志が敏幸に罪を告白するきっかけは、敏幸の目が見えるようになるかもしれない、つまりは、敏幸を突き落とした犯人が弟の陽左志であることに、敏幸本人が気づいてしまうかもしれない、という可能性がちらついたためだった。悪い言い方をすると、やや自己保身的な理由から陽左志は告白を選択している。ただ、きっかけが自己保身にあったとはいえ、彼は彼なりの償いを果たす。それが、兄の手術費用を捻出するために、長年暮らした土地を売ることだった。
以上を踏まえて、観点②:陽左志の罪の告白が果たす役割を考えると、「月」の陽左志の告白は、兄弟の在り方をリセットする役割を果たしていたのかもしれない。
陽左志が罪を泣きながら告白し、敏幸が悩みながらも許す姿勢を見せた後、最終シーンでは、破壊された兄弟の部屋、そこからクレーンが三日月のように覗き、その隙間から漏れる月光が舞台上を照らしていた。
破壊された兄弟の部屋は、敏幸と陽左志が家族としてのつながりを断ったことを意味すると考えていいだろう。
この時考えたいのが、この作品において「土地」が持つ意味であるが、海月が立ち退きを告げられた時、家族との思い出を手放せと言うのか、と泣いて訴えていた点にヒントを得ると、この物語において「土地=家族のつながり」と見なしても問題はないだろう。一度土地を手放すことで、彼らは思い出や過去を手放し、一緒に暮らすことを放棄した。結果、以前の生活の場は壊され、元に戻ることはなかった。
その上、手術を終えて帰ってきた敏幸は、もう盲目ではない。むしろ失明した伴侶を介助する側に回って、カメラマンとしてのキャリアの一歩をスタートさせる。つまり、敏幸を介助しながら暮らしてきた陽左志という、これまでの笑原兄弟の在り方は、もう成立しないのだ。
そして最終シーンの敏幸は月の光に導かれるかのように、これまでの土地から出て伴侶と歩み、陽左志は商店街の人たちの輪の中にいる。この居場所の違いは、敏幸と陽左志の生きる世界が変わったことを意味するのだろう。
■海side
「海」は、償いの物語であり、家族再生の物語でもある。
そして、このsideで彼らが絶えず向き合うこととなったのは、自ら抱えた「罪」の意識だ。
「海」では、「月」で語られることのなかった敏幸の負い目が語られる。それは、敏幸が陽左志の異父兄弟ということである。 敏幸は自分が父と血のつながりを持たないことから、自分は本当に父親に愛されているのか、という不安をずっと抱えて生きている。もしかしたら、笑原家の中で自分だけがよそ者であると考えていたかもしれない。そのために勉強やスポーツ、カメラの技術について努力し、父親に気に入られようとしていた。だからこそ、自分が落下事故をきっかけに失明してしまったせいで、嫌気が差した父親は失踪してしまったのではないかと敏幸は思い込んでいる。
このことから、敏幸は、(自分という存在を除けば)ごく一般的な家庭であった笑原家を、よそ者の自分が壊してしまった、という罪の意識を持っていたのではないだろうか。
対して陽左志の罪の意識は「月」と同様、喧嘩の腹いせに兄を突き落とし、視力を奪ったことにある。ただ、その罪への向き合い方に、「月」との明確な違いがある。
「海」の陽左志が罪を告白するきっかけとなるのは、異母妹から父の治療費を捻出しなければ過去に犯した罪を暴露する、と脅されたためである。つまりは以下の2択だ。
(A)難病の父の治療費を捻出する(=土地を売る)代わりに、敏幸を突き落とした犯人が自分であることを隠し続ける
(B)難病の父を見捨てる(=土地を売らない)代わりに、敏幸を突き落とした犯人が自分であることを明かす
陽左志が選んだのは後者の(B)であり、結果自らの罪を告白するに至るのだが、なぜ陽左志は後者を選んだのだろうか。
その理由としてまず考えられるのは、自分たち家族を捨てて失踪した父を陽左志は憎んでいたということであるが、憎いだけでは後者を選ぶ理由としては弱すぎる。それ以外にも、罪を背負い続けることが苦痛だったから、とも考えられるが、なぜ苦痛だったのか、という点を詳しく考察しない限りは理由として不十分だろう。
ここで、「土地=家族とのつながり」という前提を踏まえてその理由を考えてみよう。陽左志が直面した選択はつまり、自らの保身のために家族とのつながりを捨てるか否か、というものだった。土地を売らない選択をした陽左志は、自己保身の道と家族とのつながりを天秤にかけ、後者を選んだということなのだ。だからこそ、陽左志は敏幸に自らの罪を告白する決断を下すことができたのである。
ただ、陽左志が敏幸と居続けるということは、自らの犯した罪の結果に絶えず向き合わなければならない、ということでもある。陽左志にとって、それは大変苦しいものではあるが、この先もずっと共にいると決めたからこそ、一度すべてを明るみにする必要があったのかもしれない。
ここまでを踏まえて、一度観点②:陽左志の罪の告白が果たす役割について考える。
「月」での陽左志の告白は兄弟の在り方をリセットする役割であると前述したが、「海」における陽左志の告白には、それぞれが抱える罪の意識から兄弟を解放する役割があったと先に結論付けたい。
罪の”意識”から解放されるには、それぞれの罪への赦しが必要となる。
陽左志の罪の赦しについては、ここでは見たままの解釈をする。陽左志は涙ながらに敏幸へと事件の真相を話し、謝罪し、懺悔することで、敏幸からその罪を赦された。
では敏幸はどうだろうか。これを理解するために必要なのは、観点①:陽左志の罪の告白を聞いた敏幸の表情である。「海」の敏幸は、「月」の敏幸に比べると、陽左志の告白を随分あっさりと受け止め、赦しの言葉をかける。その姿はいっそ超人的ですらあり、この瞬間敏幸は人よりも神に近い存在となったと解釈することも可能だろう。しかし本論ではその立場を取らず、敏幸をむしろ1人の人間として扱う。
なぜ敏幸は陽左志を赦したのだろうか。思うに、陽左志の罪の告白を赦すことで、敏幸もまた自らの罪を赦すことができるからではないだろうか。
敏幸は陽左志の告白を受け止めない選択もできたはずだ。しかし、彼はそうしなかった。それは罪を赦さないことで、また自分をきっかけに家族がバラバラになってしまうことを恐れたからではないだろうか。前述した通り、敏幸が自らの罪として認識しているのは、よそ者の自分が家族を壊してしまったことである。陽左志が明かした事実を敏幸がどのように受け取ったかは定かではないが、怒りや憎しみを表すことなく赦しの言葉をかけたのは、陽左志の罪を受け止めることで、兄弟の離散を阻止し、同じ過ちを繰り返さないためではないだろうか。そうすることで、敏幸は自身の罪を赦そうとしたと、考えることは可能だ。
ただ、敏幸が陽左志を赦したところで、陽左志の罪が消えることはない。「月」では敏幸の視力回復という形で陽左志は罪自体からは解放されるが、「海」では陽左志は自らの罪の結果と隣り合ったまま、この先もずっと生きていくことになる。しかし、それは必ずしも不幸なことではない。陽左志は幸福になるために「人前で号泣する」必要があったが*2、実際罪の告白に伴って涙を流し、幸福への切符を手にしている。そして敏幸も陽左志を赦すことで、自らを赦そうとするが、過去に家族が離散した事実は変えることができない。つまり、陽左志の罪の告白は根本的な解決をもたらすものではなかったが、笑原兄弟を罪の意識から「は」解放することができるものだったのである。
また、「海」が母親不在の物語であることも触れておきたい。
「母なる海」とはよく言うものの、実際にこの物語に出てくる子どもたちは、全員母親との死別を経験している。敏幸や陽左志は父親の失踪後に事故で母を喪っているし、海月もこの土地に来てすぐ母を事故で亡くしている、笑原兄弟の異母妹も、母を亡くしていて、父と2人で暮らしていることが劇中で語られる。「月」では写真のモデルの母親がキーパーソンとして出てくるため、おそらくこの設定は意図的なものだろう。
しかし、そんな母亡き子らが、最後には笑原家の父と共に家族のように1つテーブルを囲み、笑みを浮かべる。海とは、そんな彼らの居場所を意味するのかもしれない。
そして、自らをずっと笑原家のよそ者として位置付けていた敏幸は、このつながりの中に、やっと本当の居場所を見つけたと、そう願いたい。
↑ ↑ ↑ おわり ↑ ↑ ↑
……とまあ、拙いにもほどがある論考をまとめてみたのですが、こうやって考えてみると、「月」がハッピーエンドで「海」はどちらかというとメリーバッドエンドのようにも見えてきます。
が、やっぱり私は「海」に救いを見てしまいますね。罪自体が消えることはなくても、赦されることで幸福を約束されるのは、すごくやさしいことのように感じられるので。過去の過ちが100%清算されることって、実際そうそうないことだと思いますし。
あと、これは個人的にですが、全盲だった敏幸がまた見えることになるのが幸せだと言ってしまうと、実際に見えない人を否定することにならないかな、という懸念があるから「月」をハッピーエンドと言ってしまうことにためらいがあります。確かにこの世の中、自分を含め目が見える人をマジョリティとしてあらゆるものが設計されているので、目が見えなければ不便ではあると思うのですが、見えるようになったことを幸せと言ってしまうのは、マジョリティの傲慢ではないかと思ってしまうのです。まあ、当事者でもないくせにこういうこと考えてしまうのもマジョリティの傲慢に過ぎませんが。
それと、「月」は敏幸とパートナーの関係に若干いびつさを感じてちょっぴり怖いんですよね。29歳の相手が10代後半で……しかも中途失明して……敏幸の介助が必要になって……この子は敏幸しか知らずに生きていくのかもしれんと思うと怖くないですか……。これは自分が敏幸の方に年齢が近いからそう思うのかもしれませんが……。
まあとにもかくにも舞台版末路、噛めば噛むほど味のする最高すぎるコンテンツでした。結局言うことがこれに尽きてしまう語彙力のないオタクの末路。
あと演者の話もちょっぴりだけさせてください。まだ書くのかよってかんじですけど。
■横尾さん(月Side 笑原敏幸役)
目が見えていない演技のリアリティがすごすぎて、本当に見えてないと思った。
セットの端っこに立つとき、見えてなくて落ちちゃうんじゃないかと思ってすごくハラハラした。そのくらい見えてない。まず舞台上に現れた瞬間にこの人目が不自由な方なんだ、とわかるくらい細かい演技をする。白状というアイテムがないのに。すごい。
どっちかというとドラマ向きの人かなーと思う。ドラマ版末路見ててもすごくいい味出してるし。癖のある役とかやるとすごくハマりそう。
セリフを喋るといつもの横尾さんのほよほよ感があってとてもかわいかった。あとサーモンピンクが似合いすぎ優勝。
■千賀さん(月Side 笑原陽左志役)
多分この中で一番憑依型の演技をするんじゃないかと思った。
罪を引きずって生きる陽左志の重々しさが表情や言葉の端々に滲んでいて、見ていてすごく苦しい気持ちになった。
大変申し訳ない気持ちになったのが、時折目の奥から光が消える瞬間があって、そこにすごく闇を感じた。敏幸が犯人の手がかりになる帽子を見たらどうしようと考えている場面のとき、帽子を燃やすか敏幸を殺すかどっちかするんじゃないかと一瞬身構えてしまいました。陽左志がそっちに振り切れることがなくてよかった。
でも海月やマユコに対して見せる人当りの良さとか、コントパートの時のノリの良さが良いアクセントになっていたと思う。コントパートは割といつもの千賀さんに近い部分もあり、大変面白かった。千賀さんのクソデカリアクションで救われる命絶対にある。
■宮田くん(海Side 笑原敏幸役)
声優経験者だけあって滑舌良いし声の表情が豊かすぎる!
突き落とされるときの悲鳴とかめちゃくちゃすごい迫力でしたね。あんなん聞いてしまったら夢に出てくるし一生もんのトラウマですわ(ほめてます)。
滑舌がとてもよくて、言葉が聞き取りやすいのは普段からですが、それが存分に生かされてましたね。それに、会話のテンポがすごくいい。演技をしつつも自然に聞こえるトーンで日常の会話などしているのが大変良かった。
宮田くんから滲み出る善人オーラ、役のはずなのにあまりにも嘘がなくてもはや人徳のレベルだし、陽左志を赦すシーンなんかは菩薩に見えた。ありがてえ。拝む。
■二階堂高嗣くん(海Side 笑原陽左志役)
ドラマは前3人の仕事、自分はバラエティ班ってどの口が言ってるんですか???
いやこれだけで別記事書いた方がいいくらい言いたいことしかないし多分そのうち書く。
ドラマ・映画の出演数少ないっていじられてる人間が見せるクオリティの演技ではない。お花畑の贔屓目っていわれてもいいんですけど、たったあれしかドラマや映画に出てなくてここまで出来ちゃうの、才能でしかないのでは???
無限に言いたいこと出てくるしもう無難に股下5mあったとだけ言いたい。ひざ下がそのうち3mを占めてる。
世界は早くこの才能を見つけて。
大体言いたいこと言った気がする。
同じ配分で語るということがとても苦手な人間なので、大変申し訳なく思っている。
この舞台、敏幸と陽左志の組み合わせ変えたらまた違った兄弟像が浮かび上がったりして面白いだろうなーと思った。あと、横尾・千賀ペアで「海」をやっても、宮田・二階堂ペアで「月」をやったりしても面白そう。とにかくいろんな可能性を考えてみたくなる本当に面白い作品でした。
受注生産という形ですが、DVDを発売してくれた方々に感謝です。DVD化の要望を出し続けてくださったファンの方々にも。
新規がこの作品を見るきっかけをくれたすべての人に感謝。
ほんとうにありがとうございました。
二階堂高嗣、まじで演技の仕事嫌になるほどやってほしい。絶対天下狙えるって。
おわり
自担が一度も帽子を被らなかった日
最初に謝らせてください。古参ぶったタイトルをつけてごめんなさい。
でも衝撃だったんです。許してください。
+++
こんにちは。じゅーくといいます。
ところで、
To-y2 二日間おつかれさまでした~~~!!!
WEB FES出のド新規にはリアルタイムで参戦する初めてのコン
横尾さんの細部までこだわりぬいた演出、玉森くんのメンバー1人ひとりのスタイルを120%活かす衣装、千賀さんのフォーメーション1つ1つにしっかり意味の込められた振り付け、どれもこれも最高でした!もちろんパフォーマンスだって最高だった!
他のメンバーだって素晴らしかった!北山さんの力強くてグループをぐいぐい引っ張るパフォーマンスも、藤ヶ谷さんのクール&セクシーなのにお茶目なときは全力でやりきって笑わせてくれるところも、目立てる権利をフル活用した宮田くんの素敵な歌声も、全部全部最高だった!
もうとにかく楽しかった!ありがとう!!!
中でも二階堂くん。
私は二階堂くんを応援できて本当に幸せです。
※※※ここから先は1オタクの激重巨大感情しか書かれません。面白いことも、ためになるようなことも言えないので、キツかったらさっさとブラウザを閉じようね!※※※
キスマイを応援してきたファンは、おそらく当然のように知っている事実がある。
二階堂高嗣、コンサートでは帽子を目深に被りがち ということである。
上述の通り、私はWEB FESからキスマイにハマったばかりという、新参もいいところのオタクなのだが、過去のライブ映像を履修すればするほど、この事実にぶち当たるのである。
(ちなみに2015年のKIS-MY-WORLD~2019年のFREE HUGS!、および2018年の舞祭組村は一通りライブ映像を見ました。それ以前のものについては今後履修していこうと思っています。)
2015~2016年はそれほど帽子を被っている印象でもないのだが、2017年のMUSIC COLOSSEUM以降はもう帽子を被ってない時間のほうが短いんじゃないかというくらい絶えず帽子を被っている。
念のため断っておくが、私はアンチ帽子派ではない。
2018年のYummy!!you & me及びExtra Yummy!!にて、Break The Chain以降着用していた黒衣装については、むしろハットまで含めて完璧な造形が出来上がると信じてやまないくらいには帽子に対して寛容であるつもりだ。とにかくYummy!!の黒衣装は良い。帽子であの涼やかな目が隠れてしまって、時折チラチラと覗くのだってもはや芸術の域である。もし死という概念が人間の形をして存在するのであれば、黒衣装を着た二階堂高嗣であってほしいくらいに好きだ。もしくは遠隔操作型のスタンド使いであってほしい。言っていることがきもちわるいなこれだからキモオタは。
でもいいところばかりではないとも思っている。
2018年Extra Yummy!!の『今はまだ遠く~』以降被っていた黒いハンチングは燃やしてしまいたいくらい憎たらしい。せっかくかわいらしいメンバーカラーのスーツを着ているのに、黒点のように浮いた黒ハンチングはミスマッチどころの騒ぎではなくて、見た瞬間「ハンチング燃やせ!」と叫んだ。野蛮か?
2017年のMUSIC COLOSSEUMでは、開幕早々ハットを目深に被っているし、帽子を被ってないときはヅラを被ってるので、二階堂高嗣の地毛を拝むことすらかなわないのだ。ミューコロのヘアスタイルめちゃくちゃ好きなのに!!!!!!!あっ、ジョッシー松村は二階堂くんじゃなかったね。ごめんごめん。
とにもかくにも、たかが4ヵ月しかファンをやっていないオタクがこうなのだ。いわんや、何年も二階堂担をしていらっしゃる先輩方をや。
二階堂担と二階堂高嗣の帽子の間に横たわる因縁というものは、百人百様に形成されているものと、まことに勝手ながら思っている。
でも今回のTo-y2のコンサート、2日間もあったのに、二階堂くんは一度も帽子を被らなかった。
私事で申し訳ないが、To-y2は私が初めて買ったキスマイのアルバムだ。プレバトでおなじみ、夏井いつき先生の俳句が使われているという「王国の蝶」が聞きたくて、WEB FESを見た次の日には買っていたように思う。
結果、さんざんうたプリでお世話になった上松範康氏の作詞作曲したCOUNT 7EVENをで見事沼に落ち、その流れで進められたHAPPY LIVE with youにて披露されていたMr.FRESHを見て二階堂くんを推さざるを得なくなってしまったという、とにかくいろんなきっかけをくれたアルバムなのだ。
そのアルバムのコンサートで、二階堂くんは一度も帽子を被らなかった。
正直に言う。私は二階堂くんの顔がめちゃくちゃのめちゃくちゃに好きだ。MAHARAJAで冗談めかして歌われる「国中で噂のイケメン」というフレーズは、二階堂高嗣のために存在すると信じてやまないくらい顔が良いと思ってる。涼やかな目元、その右目の隅っこにこぼれたなみだぼくろは二階堂くんのパブリックなイメージに不釣り合いなほどの色気があって見るたびにドキドキする。すっと鼻筋は通っているけどあまり高くはない鼻とつんととがった唇は小動物のようでかわいらしい。とにかく奇跡のようなバランスで顔のパーツが配置されていて、本人はお顔が大きいと言っているが、こんなかわいくてかっこよくて美しいお顔が遠くからでもはっきり見えるのだからむしろ最高なくらいである。
そんな最高なお顔が1度も帽子によって、ましてやあの憎きクソ黒ハンチング帽なんぞによってさえぎられることがなかったのである。
しかも今の髪型。ENDLESS SUMMERのジャケ写とか見ればわかる通り、めちゃくちゃにかわいい。みんな見て。ほんとにかわいいから。世界一かわいいカワウソ。二階堂たか史上1番似合ってる(※個人の感想です)
つまるところ2020年の二階堂高嗣って存在そのものが奇跡なんですよね。
実在する奇跡が2時間歌って踊って笑ってファンサしてくれてるんですよ?しかも自分にとって一番思い入れの深いアルバムのライブで。世界に感謝以外のコマンドが打てねえ。
……とまあ、ここまでは自担が帽子を被らなかったことに対して、キモオタやりがちな大袈裟な語彙を使ってビジュアルをほめたたえるムーブにすぎません。それだけじゃないからブログを書いているんだ。
二階堂くんが帽子を被らなかった件については、案の定、配信を見ていたファンからも声の上がる事態でした。
(※To-y2を見ていない方に説明すると、今回のライブでは、MC中にチャット機能でコメントを届けることができるという、配信ならではの距離感がバグりそうな企画があった。ちなみに私は504エラーが出て何もできませんでした!!!)
なんで今回帽子被らなかったの?という質問がメンバーからも発せられる中、二階堂くんはいつも通り「大人に怒られた」という小学生もびっくりな言い訳をするんですけど(ちなみに二階堂くんは今年30歳になったいい大人です)、毎回素晴らしい衣装を担当してくださる玉森裕太くん、いや玉森裕太さん、玉森大先生が、びっくりするような事実をリークしてくださいまして。
「配信だから、ファンのみんなに顔が少しでも見えるように、帽子なしって言ってたよ」(ニュアンス)(録音とか録画とかできないからね)(衝撃で記憶がおぼろげだからね)
キモオタのぼく「ヒュッ……」
……お決まりの流れだけどさあ、お決まりの流れだけどさあ!!!!!!!!!!
玉森大先生、いや玉森大明神!ありがたきお言葉!!!!!!!!
今年の二階堂高嗣の誕生日から玉森大明神には頭が上がらない*1。玉森大明神は二階堂担をいたわる趣味でもおありなんでしょうか?????
ただでさえ自担のかわいいお顔を存分に満喫できて燃え尽きるほどヒートしているオタクの頭は、完全にフリーズしました。
その後、メンバーからめちゃくちゃいじられる二階堂高嗣。藤ヶ谷くんからは「#ニカ脱ハット」というタグ指定までされる始末。一緒に見てた宮田担からはよつぶやけと言われて放心状態で「#ニカ脱ハット」だけつぶやくキモオタのぼく。最終的にトレンド入りしました。めでたしめでたし。
……じゃねーんだわ!
このことについて、思うことは大きく分けて2つある。
ひとつ!二階堂担は二階堂高嗣からめちゃくちゃ愛されている!
ふたつ!世界が二階堂高嗣にやさしい!
ひとつめから。
二階堂くんはそもそもあんまりファンに対して積極的に優しくしてくれるタイプのアイドルではないんだろうと、過去の映像や、先輩方のツイート、ブログなどを拝見しながら思っていた。優しくって、つまりは大好きとか愛してるとかたくさん言ってくれたり、アイドルらしいファンへのふるまいを指すと考えてほしいです。
そもそも彼はファンに向かって「キスマイが1番好きです。みんなは2番目」*2とか言っちゃうアイドルだ。大抵は嘘でも「みんなのことが1番好き!」と言いそうな局面で我々を2番目と言っちゃうのだ。へたくそか二階堂高嗣。
しかし私は正直この発言がとても好きで、むしろ2番目においてくれてありがとうな!くらいの気持ちで聞いていた。十何年も一緒にいるキスマイメンバーの方々に勝とうというのもおこがましいし。感じ方は人それぞれだと思いますけどね!
でも2020年の二階堂くんは、30歳になった二階堂くんは、自由に生きるといっておきながら、我々ファンのことを考えて、ライブの前に気合を入れるスイッチでもある帽子を被らないでライブをやりきってくれた。
これってつまり愛じゃん?(論理の飛躍)
ここでいう愛は、「アイドルがファンを想う気持ち」と読み替えたほうが適切かもしれません。自分のスイッチよりもファンの求める姿を優先してくれる気持ち。そこに残るのはファンにしっかり向き合ってくれているという事実だ。これに気づいて嬉しくならないファンの方が少ないのではないだろうか。
そこまでされると本当に自由に生きてるか不安になるくらいだ。二階堂くんは言葉こそへたくそだが、心遣いは本物だと感じられる。もしかしたら配信という形だからこそ実現したのかもしれないけど、二階堂くんの心遣いを確かにファンは受け取って、幸せな気持ちで噛み締めていると伝えたい。
二階堂担で本当に良かった。それでは聞いてください。舞祭組で『最幸LOVE!』。
ふたつめ。
帽子を被らない理由を聞かれて、咄嗟に「大人に怒られた」という子供じみた嘘でごまかそうとするくらい、二階堂くんは天邪鬼、ひいてはツンデレだ。
2次元のツンデレはわかりやすい。なぜなら、「ツン」の部分を説明する文脈が用意されるからだ。このキャラクターはやたら冷たく当たったりツンケンした言動が目立ちますが、本当は恥ずかしがっているだけですよ、という説明が必ずセットで描写される。だからこそツンデレとして成立するし、それをかわいらしい属性としてとらえることができる。
ただ、「ツンデレ」が3次元に存在すると、とにかくめんどくさい奴になってしまう。その人の言動の裏の真意や文脈を、受け手全員が理解できるとは限らないからだ。
突然「別にあんたのこと好きでもなんでもないんだからね!」と言われたところで、背景を察するコミュニケーションが苦手であればあるほど「じゃあこいつには近づかんとこ」となってしまう。たとえ本当は好きだったとしてもだ。3次元においてツンデレが成立するためには、よほど受け手がツンデレ本人の言動の癖を理解しているか、察する能力が高いかしないとならない。
しかし厄介なことに二階堂くんはツンデレなのである。誕生日を祝われて「やだね~」とか言っちゃうし*3。何も知らない人が聞けば誕生日祝われるの嫌いな人なんだな、と受け取っても仕方ない。でも二階堂くんはやってしまうのである。ツンデレだから。めんどくせえ奴だな。
でもそんな二階堂くんのツンデレを、成立させてくれる世界がある。
さすが結成15年ということもあって、メンバーのみんなが二階堂くんの扱いを心得ているし、そんな面倒なところをわざわざファンに向けて解説を交えていじってくれる。今回のMCだってそうだ。玉森大明神の明かしたやり取りの一部は、「この人の言動は照れ隠しですよ」という解説として機能していた。そのおかげで我々は二階堂くんの悪態や子供じみた嘘をツンデレの「ツン」として解釈することが可能となるし、かわいさに微笑ましくもなれるし、愛の重さに膝をつくこともできる。
こういったやり取りは今年突然発生したわけではなくて、定期的に繰り返されているお約束でもある*4。それなのに毎回懲りずにしょうもない嘘をついては事実を暴かれて照れる二階堂高嗣はどうしたって憎めないしとてもかわいい。二階堂担、自担の照れるお顔が三度の飯より好き。
つまり何が言いたいかというと、実在する人間のツンデレを成立させてくれる土壌がKis-My-Ft2には存在し、ちょろいオタクはまんまと踊らされているのである。
悔しさはあるが、楽しいのでなーんの問題もないです!!!!!!
改めてKis-My-Ft2のみなさん、いつも二階堂くんのことかわいがってくれてありがとう。
+++
文字数もすごいことになってたので、そろそろこの辺りで終わりにしようと思います。
ここまで読めた人います?読めたんだとしたら猛者じゃないですか。ありがとうございます。そしてキモオタでごめんなさい。
本当はにかぴょんコールやってくれたことへの感謝とか、吠えるようなラップめちゃくちゃかっこよかったとか、We are キスマイ!でメンバーのC&Rをやってくれたこととか、そういう話もしたかったんですけど、思った以上に黒ハンチングへの殺意を抑えきれませんでした。黒ハンチング好きな人ほんとにごめんね。。。
改めて、東京ドームで初の配信ライブとなるTo-y2を開催してくれたKis-My-Ft2のみなさん、スタッフの方々、本当にありがとうございました。
そして最後に、
二階堂高嗣くん、たくさんの愛をありがとう。二階堂担で、本当に幸せです。
では!またどこかで!
#ニカ脱ハット
ニカ千を知ってくれ、世界。
タイトルの通りです。
ニカ千はいいぞ。
++++++
はじめまして。
軽い気持ちでWEBFESに手を出した結果、見事キスマイにはまってしまいました。じゅーくといいます。うたプリのオタクもやっています。レン担です。
ファン歴1ヵ月というド新規もいいところなのですが、知れば知るほどニカ千という沼の深さに気が狂いそうになってしまったので、気持ちに整理をつけるためにブログをしたためることとしました。
ちなみに二階堂担です。
これまで恥ずかしくて言えなかったけど、FCにも入ったのでそう名乗ることとします。
まだまだ勉強不足なところ、無知なところもあるのですが、とにかくニカ千について一度語っておきたかったので、お付き合いいただければと思います。
ニカ千のやばさを世界は知るべき。
++++++
1.そもそもニカ千とは
Kis-My-Ft2の二階堂高嗣(にかいどうたかし)くんと千賀健永(せんがけんと)くんのこと。
二階堂の「ニカ」と千賀の「千」で「ニカ千」。とても分かりやすい。
生年月日等のプロフィールは、ジャニーズ公式プロフィールをご参照ください。
メンバーカラーは、二階堂くんが緑、千賀くんが水色。
ちなみに2人ともチーム内最年少の同学年で、次の誕生日で30歳になる。(※2020年7月現在)
いろんな意味でそう見えないほど2人とも若い。
2.シンメとしてのニカ千
この2人はいわゆるシンメと呼ばれる2人組なのだが、
まるでキャスティングして連れてきたかのように、何もかもが対照的な2人だ。
①歌声
キスマイというグループ自体、声優7人で歌ってるのか?と思ってしまうくらいみんな声の個性が強い。
その上みんな歌がうまい。
その中でも、ニカ千の歌声の個性は際立っていると思う。
二階堂くんはザラリとした手触りのハスキーボイス。
初心者でも、きっと1番最初に覚えてしまうくらい特徴的な歌声だ。
ラップパートを歌わせたら、グループ1上手いんじゃないかと個人的には思っている。
ソロ曲「はぐすた」の高速ラップは圧巻の一言。
でも彼が歌い上げるバラードも素敵だ。まっすぐな歌声に宿る甘い響きと切なさ。ギュッと胸が締め付けられるような心地がする。
ここまで完全に自担に対する贔屓目でお送りしております。
対して千賀くんは透き通った高音と圧倒的歌唱力。
これも完全に贔屓目ではあるが、グループ1歌がうまいと思う。
その上表現力も卓越しており、ソロ曲「Get Ready」のようなイケイケな曲をセクシー歌い上げたかと思うと、「I miss your Smile」では切ない恋を情感たっぷりに歌い上げる。
とにかく歌っている千賀くんはギラギラとした存在感を放って、驚くほどセクシーだ。
グループで歌うときも、よく繊細かつ美しい高音を披露している。圧倒的美。
歌声について総括すると、
ハスキーボイスの二階堂くんと圧倒的美声の千賀くん。
そう覚えればきっと間違えないはず。
②ダンス
ニカ千は歌だけじゃない。ダンスだって対照的だ。
二階堂くんも千賀くんも、それぞれキレッキレのダンスパフォーマンスを見せてくれる。
歌がうまいだけじゃなくてダンスまでかっこいいのがニカ千の魅力の1つだと思う。
全くダンスのできない人間なので、以下は完全に個人の印象レベルの話になってしまうのだが、2人のダンスについて語らせていただきたい。
二階堂くんはラップで見せる豪快さとは裏腹に、ダンスはすごく繊細で几帳面だ。
全身の筋肉を動かす神経一本一本を完全に制御しているとでも言わんばかりに、正確で無駄のない動きをする。
その上、二階堂くんは尋常じゃないくらいスタイルが良い。
スタイルが良すぎてジョジョ5部以降に出たことあるよね?と思う瞬間があるくらいだ。すぐジョジョで例えるオタクでごめんな
手足が長くて動きも大きいので、とにかく見栄えがして美しい。
そのうえ涼しい顔して複雑なステップも決めていく。その余裕たっぷりさがめちゃくちゃセクシーだ。
基本的な身体能力が高いので、バク転もお手の物。
「FIRE BEAT」の間奏でバク宙をキメるのは彼です。かっこいい。
一方千賀くんは、ダンスではゴリゴリ豪快に攻める。
全身の筋肉を滾らせて、全力全開・全身全霊で踊る千賀くんは、やや中性的な見た目の印象を裏切るかのように、男らしさでギラギラ輝いている。
千賀くんはメンバー全員が認めるほどダンスがうまい。
そのうえ自分たちの曲の振り付けだって担当してしまうのだから、その才能には脱帽してしまう。
そのくらいダンスがお上手なのに、どんな細かい振りだって手を抜かないところに、千賀くんの何事にも全力で挑むまじめさが滲んでいる。
そして個人的には体幹がすごいと思う。
体幹がしっかりしているからどんなに激しく踊っても姿勢も歌声もぶれない。
ステージ上の千賀くんが放つオーラと存在感、そしてスキルの高さ、それらすべてが無敵だとすら思う。
ダンスについて総括すると、
繊細で几帳面な二階堂くんとゴリゴリ豪快に決めてくる千賀くん。
その上2人ともめちゃくちゃセクシーだということも忘れないでほしい。
③その他
他にも、ニカ千の対照性は随所に現れていると思う。
丸顔でヒョロっとしている二階堂くんと、やや面長で全身に筋肉が詰まってる千賀くん。
辛い物が結構得意な二階堂くんと辛い物を全く受け付けない千賀くん。
お酒が好きな二階堂くんと下戸な千賀くん。
その他もろもろ。
ニカ千を知れば知るほど、こういう設定の2人がグループに必要だから、いい感じの人連れてきて、って連れてこられたのがニカ千なんじゃないかと思ってしまう。
でも違うのだ。
子どもの頃からジャニーズJr.で切磋琢磨し、パフォーマンスを磨き上げてきた結果、今この2人の形があるのだ。
もう奇跡としか呼びようがない。
二階堂くんも千賀くんも、アイドルという仕事を選んでくれてありがとう。
3.ニカ千を楽しむ
ニカ千について長々と語ってきたが、正直パフォーマンスを見たり歌を聞いたりした方がやばさは伝わると思う。
ので、何個かピックアップしてみた。
①Double Up
ニカ千が気になるならまずこの曲を聴いてほしい。
というかこのライブ映像を見てほしい。
avexさん、WEBFESユニット編にしれっとDouble Upの映像追加しません?????絶対こういうシンメ大好きなオタク釣れるよ?????
歌割は主に千賀くんがメインの歌唱を担当し、二階堂くんがラップを担当している。
当初歌う量の配分を苦慮した千賀くんだったが、二階堂くんが完全に分けた方がいい、と判断したことで、このような歌割になった*1。
これについては正直英断としか言いようがない。そして二階堂くんの歌割が少なくなることを苦慮した千賀くんの優しさ……どちらも後世に語り継いでいこうな。
ファンクな曲調に乗せ、千賀くんがセクシーに歌い、二階堂くんがクールにラップを決める。このバランスの絶妙さがDouble Upの魅力のひとつだ。もちろん音源を聞くだけでも、その素晴らしさは十分伝わると思う。
が、Double Upの真の魅力は、ライブ映像にこそ宿っていると主張したい。
まず衣装。千賀さんは白×青でまとめた爽やかな好青年のようなスタイルなのに対し、二階堂くんは黒×赤でまとめた上にキャスケットを目深にかぶったミステリアスなスタイル。この時点で完璧なシンメトリである。
パフォーマンスでも対照性は顕著だ。千賀さんがギラギラオーラ全開で輝くのに対して、二階堂くんは一切無駄のない動きで淡々とパフォーマンスをこなしていく。
まさに光と影のようなニカ千。
表情豊かで挑発的な視線を向ける千賀くんに対して、表情をほとんど変えないクールな二階堂くん。
オタクこれ大好きなやつでしょ(クソデカ主語)
あまりにも対照的過ぎてポケモンの次回作タイトルみたいに2人の名前を並べても違和感がない。
ポケットモンスター千賀健永/二階堂高嗣。ありますね(ない)。
これだけ対照的なのに、パフォーマンスの息はピッタリで、お互いがお互いの良さを倍増させている。まさにDouble Up。
この映像を初めて見たとき、ファン歴も浅いし当時のことなんて知識としてしか知らないのに、色々こみあげてきてめちゃくちゃ泣けてしまった。
ニカ千が7人曲でソロパートをあまりもらえていなかった時代、そんな状況を蹴とばすかのように最強のパフォーマンスを見せつけていたのが、すごくかっこよかった。
というわけで、この拙い説明で少しでも気になった方は、以下の円盤を探してみてほしい。
マルチアングル(2Shot Ver.)で見るDouble Upの破壊力にみんなやられてしまえばいいんだ(Double Up過激派)
①70億分の2
なんと!70億分の2については!無料で!ライブ映像が!見れる!!!!!
18:16くらいから70億分の2が見れる。
でもどのユニットもパフォーマンスが素晴らしいから全部見てね。
70億分の2は、Double Upから一転して、2人の絆を歌い上げた切ないバラードだ。
実はニカ千には、前世で兄弟だったという説がある*2。
事実かどうかはさておいて、そのことを念頭に置いて聞くと、まるでニカ千が自分たちのことを歌っているんじゃないかとすら思えてくる。
ライブでのパフォーマンスは至ってシンプル。しかし細部はエモーショナル。
最初は背中合わせの2人から始まって、それぞれ逆方向へ滑り出す。
二階堂くんのゆく道は千賀くんのメンバーカラー、水色に輝いており、
千賀くんのゆく道は二階堂くんのメンバーカラー、緑に輝いている。
会場の端と端で向かい合って、幸せだったかい?と優しく問いかけるように歌う千賀くん。それにまっすぐ答える二階堂くん。
サビを歌いながら合流し、メインの花道を同じステップを刻みながら滑るニカ千。
最後にはステージ上で、2人向かい合って美しいハーモニーを響かせる。
……こんな拙い語彙で説明するの、申し訳なくなってしまうくらい沁みる。
この曲については、ハマって1ヵ月やそこらのオタクが、何かを言うのなんておこがましいのかもしれない。
とにかく二階堂くん千賀くんの正反対の歌声がきれいに重なりあって、胸の奥まで沁み渡ってくるのは事実だ。
70億分の2って、結構何にでも適用できる言い回しではあると思う。
例えば恋人同士の2人も70億人いるうちの2人だったり、究極的には自分と自分の周辺にいる人をランダムに組み合わせても70億分の2になりうる。
でも二階堂高嗣と千賀健永という70億分の2はこの2人でなくては成立しえないし、この70億分の2が織りなす歌声、ステージは奇跡としか言いようがない。
この地球上で最強の70億分の2、それがニカ千。
すぐ話を壮大にしがちなオタクでごめんね
6月の少年倶楽部プレミアムでのパフォーマンスも最高だったな……
③ふたりのソロ曲
ソロ曲については「2.シンメとしてのニカ千」の①でも触れたが、個性がほとばしっているのでとにかく聞いていただきたい。
千賀くんのソロ曲は、「Get Ready」も「I miss your Smile」もとにかくかっこいいのでお勧めしたい。
二階堂担としては、二階堂くんのソロ曲の温度差でみんな1回風邪を引けばいいと思う。
ジョッシー松村って何なのよ!はぐすたの人はどこに行ったのタカシ!!!!!!!
取り乱しました。
なんだかんだ言ってジョッシーはかわいい。二階堂高嗣顔がいい。
でも女装するならワキ毛は剃ってほしかった。
今回取り上げた楽曲に関しては、Kis-My-Ft2の公式ウェブサイトで試聴用プレイリストを作ったので、気になる方は聞いてみてください。
ハマったばかりのときに先輩方から教えていただいたんですが、avexさんのサイトはありとあらゆる楽曲が試聴できて、そのうえアルバム情報まで手に入るので、めちゃくちゃ便利。
++++++
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
思ったより記事が長くなってしまって自分に引いてる。
とにかくニカ千が最高ってことだけ言いたかった。
なんかおかしいこと言ってたら大変申し訳ないです。
特に千賀担の方、魅力が全然表現できてない!って思われたらすみません。
千賀くんという圧倒的な美を前に私は無力です。
バラエティ方面でキレッキレな2人ですが、アイドルとしても最強だということを世界は知ってほしいなと思います。
あと、1年に1回のペースで新曲出してほしい!(本音)(クソデカ声)
なんでもいい、とにかくニカ千はいいぞ。